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大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)1950号 判決 1964年6月30日

原告 矢野朗

被告 増田益造 外一名

主文

被告らは各自原告に対し金九三万四、〇一六円およびこれに対する被告増田益造については昭和三八年二月一七日から、被告東都電気工業株式会社については同月一二日から、各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その各一を原告および被告らの負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告

「被告らは各自原告に対し金二三一万四、二八八円およびこれに対する昭和三八年二月六日付請求の趣旨原因変更申立書送達の日の翌日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」旨の判決および右第一項につき仮執行の宣言

二、被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決

第二、原告の主張および答弁

一、請求原因

1  原告は昭和二二年教員となり、昭和三六年一月以降大阪市立爪破小学校に勤務している者であり、被告会社は電気工事の請負を業とする会社で、被告増田はその被用者として被告会社の大阪営業所に勤務し、同社所有の小型四輪貨物自動車(大四ぬ二六九〇号)を運転して販売運搬等の業務に従事する外、同営業所に車庫がないため、右自動車を自宅に持帰り出勤用に使用していた者である。

2  被告増田は昭和三六年一月一七日右自動車を運転して出勤中、午前八時一〇分頃大阪市東住吉区喜連町一五三四番地先路上において右自動車の右側面を折柄第一種原動機付自転車を運転して出勤途上の原告に衝突転倒させる事故を起し、右事故によつて原告は同年二月二五日頃まで悪心、嘔吐、けいれん発作および意識不明を伴う頭部外傷、右内眼角部刺創、頭頂部前額部挫創、右大腿骨粉砕骨折および右下腿挫創等一時生命の危険を感ぜしめる程の重傷を負つた。

3  しかして、右事故は被告増田の過失によつて惹起されたものである。

即ち、同被告は前記地点に向けて北進中、訴外小沢武三が故障した自動三輪車を索引して前方を運転中の自動三輪車を追越そうとしたのであるが、この時右路上は両側に舗装していない部分がそれぞれ約三〇センチメートル程あり、且つ右地点付近道路の東側は舗装してあるところでも凹凸がかなりあり、その東側約一メートル程は車両の走行は困難な状態にあつたのであるから、このような場合自動車運転者たる者は対向車の有無について確認するは勿論、対向車があるときはその動静に注意し、且つその走行に支障がないよう道路の東端から少くとも一メートル以上西側において追越すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り漫然と速度を増し、且つ先行車の小沢に合図して脇見をなし、道路の約三分の二東側(追越そうとする車の東側約二メートル)に出て右追越をしようとした過失により、右地点に向け南進してきた原告運転の第一種原動機付自転車に激突したものである。そこで被告増田は不法行為者として、被告会社はその使用者として原告に対しその蒙つた損害を賠償する義務がある。

4  ところで原告は被告増田の右不法行為によつて次の損害を蒙つた。

(イ) 物的損害

A、入院中の治療費等(別表(一)<省略>のとおり) 合計金四五万四、〇六〇円

B、原動機付自転車全部破損による損害 金 五万六、〇〇〇円

C、氷代(一日平均二貫目、四〇日間、一貫目金二五円) 合計金二、〇〇〇円

D、あびこ病院入院中の付添交通費(一六二日間付添二人隔日通院、地下鉄バスとタクシーを半々に使用して、地下鉄バス代一日金七〇円で八一日分金五、六七〇円、タクシー代一日金三六〇円で八一日分金二万九、一六〇円) 合計金 三万四、八三〇円

E、東岸和田病院入院中の付添交通費(国鉄と南海平野線を使用して一日金二〇〇円で二三日分) 合計金 四、六〇〇円

F、入院中の栄養費および雑費(一日平均金三〇〇円として、あびこ病院一七二日、東岸和田病院二三日分) 合計金 五万八、五〇〇円

G、医師および看護婦等に対する謝礼 合計金 二万円

H、退院後の往診費 合計金 八、〇〇〇円

I、ふとん仕立直し代およびシーツその他寝具損料 合計金 一万六、〇〇〇円

J、給与関係の減収分(別表(二)<省略>のとおり) 合計金六六万三、二九八円

(ロ) 精神的損害 金 一〇〇万円

5  よつて、原告は被告らに対して各自右損害金合計金二三一万四、二八八円およびこれに対する昭和三八年二月六日付請求の趣旨原因変更申立書送達の日の翌日から右完済まで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、抗弁に対する答弁

いずれも否認する。

第三、被告増田の答弁および主張

一、請求原因に対する答弁

1  請求原因第1項は認める。

2  請求原因第2項中、被告増田が昭和三六年一月一七日被告会社所有の小型四輪貨物自動車を運転して出勤中、午前八時一〇分頃大阪市東住吉区喜連町一五三四番地先路上において右自動車と原告運転の第一種原動機付自転車とが衝突し、原告が負傷したことは認めるが、その余は争う。

3  請求原因第3項は争う。本件事故は原告の過失に基づくものである。即ち、被告増田は幅員七メートルの右道路上を時速二〇ないし三〇キロメートルで北進中、前方を自動三輪車が故障した自動三輪車を索引し道路の左端から一メートルの間隔を置いて同方向に進行中であつたので後方から約一八〇メートル程追従進行した後、これを追越すべく警音器で合図し、なおその際前方に対向車を認めたが同車がそのまま進行するときは追越可能と判断して右道路の右側に進出し、前記自動三輪車二台の右側から約一メートル、道路の右端から約二・三メートルの間隔を保つて約五〇メートル程並進したうえ、右自動三輪車を追越そうとした際、原告の運転する原動機付自転車が法定の制限速度を超過する時速約六〇キロメートルで進行してくるのを認めたが、原告においてそのまま進行するときはすれ違い可能と判断しそのまま進行を続けたところ、原告においてその前方を進行中の自転車を追越すため突如ハンドルを右に切り同被右の進行線上に入つてきたため、同被告において急遽左にハンドルを切るとともに急ブレーキをかけて停車したが及ばず、原告の車と接触するに至つたもので、右は原告において同被告の進路を制限速度に違反して進行し且つ前方注視義務を怠り同被告の車に近接するも何ら事故防止の方法を講ぜず、かえつてハンドルを右に切つたために生じたもので、すべて原告の過失に基づくものである。

4  請求原因第4項は否認する。特に原動機付自転車の破損を全部破損として、しかもその新車購入価格を損害として主張するのは不当である。右破損は風防、前照灯が破損し、ハンドルに隙間が生じ、座席、ガソリンタンクが左に傾いた程度で修理可能のものである。また、原告は治療費については健康保険の適用がありその給付を受けることができるからその額は損害とならない。

二、抗弁

1  仮に、被告増田に過失があり同被告において原告に対し右過失に基づく損害賠償義務があるとしても、原告にも前記のとおり過失があるから、右損害金の算定についてはこの点斟酌さるべきである。

2  また、原告は自動車損害賠償保障法による責任保険の保険金として保険会社に対し金一〇万円を請求できるから、その額は被告らに対する損害賠償請求額から控除さるべきである。

第四、被告会社の答弁および主張

一、請求原因に対する答弁

1、請求原因第1項中、被告会社が大阪に営業所を有すること、および被告増田がその従業員であつたことは認めるが、その余は争う。

2、請求原因第2項中、昭和三六年一月一七日午前八時一〇分頃大阪市東住吉区喜連町一五三四番地先路上において被告増田の運転する小型四輪貨物自動車と原告の運転する第一種原動機付自転車が接触し、原告が負傷したことは認めるが、その余は争う。

3、請求原因第3項は争う。本件事故は原告において急ぐ余り法定の制限速度をはるかに超過した時速約六〇キロメートルで進行中、本件事故現場付近において突如ハンドルを右に切り道路の中央寄りに進出したため被告増田の車を避け得ず惹起したもので、原告の過失によつて生じたものであり、被告増田としてはいかに注意しても避けられなかつたものである。即ち、同被告はその前方を進行中の自動三輪車二台(一台が他の一台を索引中のもの)を追越すに当り、時速二〇ないし三〇キロメートルで道路の右側に相当な距離を置いて約五〇メートルに亘つてこれと併進中、原告が前方から相当な速度で進行してくるのを認めたが、原告においてそのまま進行するときはすれ違い可能と判断しそのまま進行を続けたところ、原告において同被告の運転する自動車の直前に至り右にハンドルを切つたため本件事故に至つたもので、右は原告の速度違反、通行区分違反および前方注視義務違反によつて生じたものである。

4、請求原因第4項は否認する。原告は治療費については健康保険の適用がありその給付を受けることができるからその額は損害に当らない。

二、抗弁

1、仮に、被告増田に過失があり被告らにおいて原告に対し右過失に基づく損害賠償義務があるとしても、原告にも前記のとおり過失があるから、右損害金の算定についてはこの点斟酌さるべきである。

2、また、原告は自動車損害賠償保障法による責任保険の保険金を受領できるから、その額は被告らに対する損害賠償請求額から控除さるべきである。

第五、証拠関係<省略>

理由

(原告の経歴、被告ら両名の関係等)

一、請求原因第1項は原告と被告増田間において争いがなく、原告と被告会社間においては同項中、被告会社が大阪に営業所を有すること、および被告増田がその従業員であつたことは争いがなく、その余の事実は、証人矢野芳雄の証言および原告、被告増田各本人尋問の結果を綜合してこれを認めることができ、右認定に反する資料はない。(傷害の発生)

二、請求原因第2項中、被告増田が昭和三六年一月一七日午前八時一〇分頃被告会社所有の小型四輪貨物自動車(大四ぬ二六九〇号)を運転して大阪市東住吉区喜連町一五三四番地先路上を通行中、同車と原告の運転する第一種原動機付自転車とが衝突し、原告が負傷したことは当事者間に争いがなく、その時被告増田が右貨物自動車の車庫に代用されていた同被告方から被告会社大阪営業所に出勤の途上であつたことは、原告と被告増田間においては争いがなく、原告と被告会社との間においては被告増田本人尋問の結果および弁論の全趣旨によつて認めることができ右認定に反する資料はない。そして、証人富永通裕の証言によつて真正に成立したものと認めることができる甲第一号証および証人富永通裕、同田倉弘、同矢野芳雄の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は右事故によつて頭部外傷、右内眼角部刺創、頭頂部前額部挫創、右大腿骨紛砕骨折および右下腿挫創等の傷害を負い、直ちに大阪市住吉区我孫子町三丁目所在のあびこ病院に入院したが、その後約二週間は意識不明で、なお同年二月一五日頃までは悪心、嘔吐、けいれん発作等を起し、一時は生命の危険を感ずる程の症状であつた。しかしながら、幸いに大事に至らず同年七月八日には退院することができたが、なおその後も右病院に通院する傍ら自宅においてマツサージ療法を受けるなどして治療に全力を傾けた結果翌昭和三七年三月には出勤可能の状態にまで回復した。しかるに同年四月再び症状が悪化したため同月二一日から同年五月一三日まで岸和田市所在の東岸和田病院に入院して再手術を受け、同年九月頃からは再び出勤しその一、二カ月後には大体松葉杖を用いずに歩行できるまでになつていたところ、昭和三八年四月九日勤務先で転倒したことから重ねて症状が悪化し、更に同日から同年八月二七日まで大阪府立病院に入院してその治療を受けたが、その後もなお全治の状態には至らず、じ来勤務を休み自宅療養を余儀なくされている事実を認めることができ、右認定に反する資料はない。

(被告らの責任の有無)

三、成立に争いのない甲第三号証の一ないし九および証人木多文明、同小沢武三の各証言、原告、被告増田各本人尋問の結果、事故現場、原動機付自転車各検証の結果を綜合すると、被告増田は昭和三六年一月一七日午前八時一〇分頃前記小型四輪貨物自動車を運転して大阪市東住吉区喜連町一五三四番地先の南北約七〇〇メートルの直線路上を時速約二〇キロメートルで北進中、前方を訴外小沢武三の運転する自動三輪車が故障した自動三輪車を牽引して同方向に進行中であるのを認め、同車に暫らく追従したうえこれを追越そうとして速度を増し同車の右側に進出しようとした際、その前方約四〇メートル余の地点において原告が第一種原動機付自転車を運転して道路東側を南進してくるのを認めたのであるが、右路面にはその両側に若干舖装してない部分があるうえその付近道路の東側部分は舖装してあるところでも凹凸があつて車両の走行が容易でない状態にあつたのであるから、このような場合自動車運転者たるものは追越に当り道路の中央線から右側、即ち対向車の進路に入ることは厳に慎しむべきであり、そのためには一時追越を見合わせ対向車の通過を待つか、そうでなくても対向車の動静に注意し同車の進行を妨げることのないよう自車の通行区分を厳守して追越をなす等、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り漫然と右追越にかかり、先行の自動三輪車と併進した際、同車の運転者訴外小沢武三が同被告の親戚であつたことから右訴外人の方を注視して合図を送るなどして対向車である原告の車から目をそらし、そのため道路の中央線から東側、即ち原告の車の進路を直進した過失により、直前数メートルに接近して漸く原告の車の進路を妨げていることに気付き急遽ハンドルを左に切つてブレーキをかけたが及ばず、同車の前部と自車の右前照灯付近とを激突させ、よつて本件事故を惹起した事実を認めることができる。そして証人小沢武三の証言、被告増田本人尋問の結果中には右認定に反する部分があるが、右は前顕各資料に照らしたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る資料はない。ところで、被告らはいずれも、本件事故は原告が制限速度を超過する時速約六〇キロメートルで自車を運転中、被告増田の運転する車とすれ違う直前右にハンドルを切り、同被告の進路に入つてきたことから惹起されたもので、これは偏に原告の制限速度違反、通行区分違反および前方注視義務違反に基づくものである旨主張しているのである。しかしながら、右については被告増田の本人尋問の結果中にこれに照応する部分があるだけであるが、しかもそれは前顕各資料に照らすとき同被告が事後自己に有利に種々臆測を加えてなしたものと認めるに足るものであつてたやすく信用できず、結局右主張はこれを認めることができない。してみると、本件事故は被告増田の過失によつて生じたものというべく、したがつて同被告は右事故によつて原告に生ぜしめた損害についてはその賠償義務を免れず、また被告会社は被告増田の使用者であり且つ本件事故が同被告において被告会社所有の小型四輪貨物自動車をその車庫に代用されていた自宅から被告会社に向け運搬を兼ねて出勤用に運転中惹起されたものであることは前記第一、二項において既に認定のとおりであつて、このことから被告会社の事業の執行につき生じたものであることが明らかであるから、被告会社もまた被告増田の過失によつて原告に生ぜしめた損害についてはその賠償義務を免れないものというべきである。

(損害)

四、そこで本件事故に基づく原告の損害について判断する。

1、物的損害

(イ)  まず、原告は入院中の治療費等として別表(一)のとおり合計金四五万四、〇六〇円の損害を主張するので判断するに、証人富永通裕、同田倉弘、同矢野芳雄の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は本件傷害によつて昭和三六年一月一七日から同年七月八日まであびこ病院に入院してその治療を受け、その後は右病院に通院して治療を受ける傍らマツサージ療法を受けるなどしていたが、再び病状が悪化したため昭和三七年四月二一日から同年五月一三日まで東岸和田病院に入院して再手術を受け、その間歩行困難のため一時松葉杖を使用し、なお小康を得て出勤した際には時折やむなくタクシーを使用していた事実を認めることができるのであつて、この事実に加えて証人矢野芳雄の証言によつて真正に成立したものと認めることができる甲第五号証の一ないし一六、同第六号証の一ないし一一、同第七号証の一ないし二七および証人矢野芳雄の証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は本件事故によつて別表(一)記載の支出をなしているものであつて同表記載の金員は原告が本件事故によつて受けた損害と認めることができ、右認定に反する資料はない。ところで、被告らは本件事故に基づく治療費については健康保険の適用があり原告は同保険から給付を受くべきものであるから損害額から控除さるべきである旨主張する。なるほど原告は地方公務員であるからその傷病についての医療費は通常共済組合から給付さるべきものであるが、その傷病が第三者の不法行為によつて生じたものであるときはその医療費は右不法行為者の負担に帰すべきものとして共済組合は原則としてその給付をなさず、ただ組合員が不法行為者から容易に医療費の支払を受けられない場合に限つて右組合員に対し医療費の給付をなしたうえ、その限度において組合員が不法行為者に対して有する医療費の請求権を取得すべきものとされているのであるところ、証人矢野芳雄の証言および原告本人尋問の結果を綜合すると、原告主張の治療費については共済組合からの給付はなく、結局原告は請求によつて既にその支払をなしているものであるから、被告らの右主張は採り得ない。

(ロ)  次に、原告は原動機付自転車の破損による金五万六、〇〇〇円の損害を主張するので判断するに、成立に争いのない甲第三号証の三および原告本人尋問の結果、右自転車の検証の結果を綜合すると、同車は原告が本件事故の約七カ月程前頃新車として代金五万六、〇〇〇円を以て購入したもので、じ来通勤用に使用していたものなるところ、本件事故によつて同車の前照灯、風防、右側蓄電池格納個所等の破損、座席、ガソリンタンク等の傾斜等その車体に損傷を生じたものであるが、その修理は可能にして且つそのためには金一万円を要すれば足るものと認めることができ、右認定に反する資料はない。原告は同車は本件事故によつてその価値を全く喪失したものとして新車購入価格を損害として主張するが、右主張を認め得べき資料はなく、結局右金一万円を超える損害の主張はこれを採り得ない。

(ハ)  次に、原告は本件傷害の治療に要した氷代として金二、〇〇〇円の損害を主張するので判断するに、証人矢野芳雄の証言によると、原告は本件傷害の治療の必要上、一貫目金二五円の氷を一日平均二貫目で四〇日以上使用していた事実を認めることができるから、右氷代の合計金二、〇〇〇円は本件事故によつて原告に生じた損害と認めることができ、右認定に反する資料はない。

(ニ)  次に、原告はあびこ病院に入院中家族の者が付添のため通院するに要した交通費として合計金三万四、八三〇円の損害を主張するので判断するに、証人矢野芳雄の証言および原告本人尋問の結果を綜合すると、原告はあびこ病院に入院中一〇日間は付添のため家政婦を雇傭したが、その余の一六二日間は家族の者二名が一日交替で交互に付添に当り自宅から右病院の間を往復していた事実を認めることができるのであつて、且つ右交通費は地下鉄とバスを使用した場合片道金三五円、往復金七〇円であることは公知の事実であるから、その合計金一万一、三四〇円は原告が本件事故によつてその支払を余儀なくされた損害と認めることができる。しかして、原告は右付添の往復中半分はタクシーを使用したとしてその代金を以て損害と主張するが、この点についてはこれを認むべき確証がないばかりか、たとえその事実があつたとしてもこれが本件損害の範囲内に属すべき事実、即ち右タクシーの使用の必要性につきこれを認めるに足るだけの資料がないので、右主張は採用し得ない。

(ホ)  次に、原告は東岸和田病院に入院中家族の者が付添のため通院するに要した交通費として合計金四、六〇〇円の損害を主張するので判断するに、証人矢野芳雄の証言によると、原告が右病院に入院中の二三日間家族の者一名が毎日国鉄と南海平野線とを使用して自宅と右病院との間を往復し原告の付添看護に当つたこと、およびその交通費が往復金二〇〇円にしてその合計が金四、六〇〇円であることを認めることができるから、右金員は原告が本件事故によつて支払を余儀なくされた損害と認めることができる。

(ヘ)  次に、原告は入院中に要した栄養費および雑費として合計金五万八、五〇〇円の損害を主張するので判断するに、証人矢野芳雄の証言中には原告が入院中その栄養費および雑費として一日金三〇〇円、入院期間通算一九五日間の合計として金五万八、五〇〇円を費している旨の供述部分があるが、右証言だけでは直ちに右出費の事実を認め難いが、たとえ右事実があつたとしてもそれが本件損害の範囲内に属すべき事実についてはこれを認めることができず、他にこれらの事実を認めるに足る資料もないので、右主張は採り得ない。

(ト)  次に、原告は医師および看護婦等に対する謝礼に要した費用として合計金二万円の損害を主張するので判断するに、証人矢野芳雄の証言中には原告は医師に対する謝礼として金三万円を支出した旨の供述部分があるがが、右証言だけでは右出費の事実を認め難いが、たとえ右事実が認められるとしてもそれが本件損害の範囲内に属すべき事実についてはこれを認めることができず、他にこれらの事実を認めるに足る資料もないので、右主張は採用できない。

(チ)  次に、原告は退院後に要した往診費として合計金八、〇〇〇円の損害を主張するので判断するに、右往診費についてはこれを認め得べき資料もないので、これが本件損害の範囲内に属するか否かの点について判断するまでもなく、右主張は採用し得ない。

(リ)  次に、原告はふとん仕立直しおよびシーツその他寝具の損料の支払に要した費用として合計金一万六、〇〇〇円の損害を主張するので判断するに、右出費については証人矢野芳雄の証言中その一部に照応する部分があるが、これだけでは右事実を認めることができず他にこれを認め得べき確証がないので、これが本件損害の範囲内に属するか否かの点について判断するまでもなく、右主張は採用できない。

(ヌ)  次に、原告は別表(二)記載のとおり給与関係の得べかりし利益の喪失分として合計金六六万三、二九八円の損害を主張するので判断するに、真正に成立した公文書と推定すべき甲第八号証および証人矢野芳雄の証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告の本件事故当時の給与は暫定手当とも一カ月金三万一三〇円であつたが、本件事故によつて昭和三六年五月三一日から昭和三七年二月二八日まで休職となりその間暫定手当とも一カ月金二万四、二〇八円の給与を受けていた事実を認めることができるから、右休職によつて得べかりし給与合計金五万三、二九八円を喪失しており、また右各証拠によると、原告は休職期間中期末手当は夏冬とも支給されていないが、もしこれを受けていればその合計は少くとも原告主張の金一一万円であつたものと認めることができるから、右休職によつて得べかりし期末手当合計金一一万円を喪失しており、更に右証拠によると、原告は右休職によつて昭和三六年一〇月一日から昇給が毎回九カ月づつ遅れそのため一年間に金二万円の得べかりし給与および手当を喪失しているところ、原告はその年令からみて同日現在なお三七・九三年の平均余命を有し(このことは平均余命の算定に関する資料として裁判所に顕著である厚生省大臣官房統計調査部第一〇回生命表による。)且つ同日以降二五年間は在職が可能であるからその合計は金五〇万円となるが、右金員からホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除すると、同日現在で金二二万二、二二二円の得べかりし利益を喪失しているものと認めることができる。したがつて、これらを合わせると原告は少くとも昭和三七年二月二八日現在で合計金三八万五、五二〇円の得べかりし利益を喪失しているものでおり、これを超える原告主張の損害額はこれを認めることができない。

以上のとおりだとすると、原告が本件事故によつて蒙つた物的損害はその算定の時期は異るが少くとも昭和三七年二月二八日現在で(イ)の金四五万四、〇六〇円、(ロ)の金一万円、(ハ)の金二、〇〇〇円(ニ)の金一万一、三四〇円円、(ホ)の金四、六〇〇円、(ヌ)の金三八万五、五二〇円の合計金八六万七、五二〇円と認めることができる。

2、精神的損害

次に、原告は本件事故に基づく精神的損害として金一〇〇万円を主張するので判断するに、既に認定のとおり原告は本件事故によつて生死の間をさまよう程の重傷を負い、長期間に亘つて勤務を休み挙動不自由の状態で療養生活を余儀なくされ、未だ身体の機能を完全に回復するに至らず、将来も全く原状に復することは望ない状態にあるのであつて、その間原告の受けた肉体的精神的苦痛は甚大なものがあるものというべく、被告らに対しその受けた苦痛につき慰藉料を請求し得ることはいうまでもないところ、その額は既に認定の諸般の事情を考慮のうえ、金三〇万円を以て相当と認める。したがつてこれを超える原告の主張は採り得ない。

(過失相殺の抗弁の成否)

五、被告らは、仮に被告増田に過失があり被告らにおいて原告に対し右過失に基づく損害賠償義務があるとしても、本件事故の発生については原告にも過失があるから、損害金の算定については斟酌さるべきである旨主張するので判断するに、成立に争いのない甲第三号証の一ないし九および証人木多文明、同小沢武三の各証言、原告、被告増田各本人尋問の結果、事故現場の検証の結果を綜合すると、原告は原動機付自転車を運転して本件事故地点に向け道路の左側を進行中、その前方において被告増田の運転する小型四輪貨物自動車が先行の自動三輪車を追越すためその右側に出てこれと併進し自車の進路を妨げているのを認め得べき状態にあつたのであるから、このとき原告において直ちに減速徐行し同被告の車に進路を譲る等の措置を採つたならば本件事故を未然に防止できたのであるが、原告は同被告において原告の車との衝突を避けるため同被告に課せられた注意義務を尽くし適宜な措置を採るものと信じ、自らは交通法規によつて定められた方法に則りその進行を続けたことによつて本件事故の発生を助けるに至つたものと認めることができる。してみると、本件事故に関しては原告につきその不法行為となるべき義務違反はないが、信義則上の義務違反はあるものというべきところ、過失相殺にいう被害者の過失とは信義則上の義務違反をも含むものと解すべきであるから、被告らの損害賠償額の算定については原告の右義務違反の点を斟酌し得るものということができる。

(損害賠償額)

六、原告が本件事故によつて蒙つた損害は前記第四項で認定のとおり物的および精神的損害を合わせ少くとも昭和三七年二月二八日現在において合計金一一六万七、五二〇円と認めることができるが、本件事故は前項認定のとおり一部原告の過失にもよるものであるからこれを斟酌し、被告らが原告に支払うべき損害賠償額は右損害額から二割を減じた金九三万四、〇一六円と認めるのを相当とする。

(損益相殺の抗弁の成否)

七、被告らは、原告は自動車損害賠償保障法に基づく責任保険の保険金として保険会社に対し金一〇万円を請求できるから右金額は被告らに対する損害賠償請求額から控除さるべきである旨主張するので判断するに、右保険については現実上保険会社から被害者に対し保険金が支払われた場合は固より、未だその支払がなくても既にその金額が確定し保険会社が確定的に被害者に対し保険金支払の義務を負担した場合には被保険者はその限度において被害者に対する損害賠償義務を免れるものと解すべきところ、本件においては右保険金が支払われた事実も、また保険金額が既に確定している事実もともにこれを認めるに足る資料がないから、被告らの本抗弁は採用できない。

(結論)

八、以上のとおりだとすると、被告らは各自原告に対し金九三万四、〇一六円およびこれに対する支払義務発生の後であり昭和三八年二月六日付請求の趣旨原因変更申立書が被告らに送達された日の翌日であることが記録上明らかな主文第一項記載の日から(被告らは原告に対し不真正連帯債務を負うものであるから民法四三四条の適用はない。)右完済まで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払義務のあることが明らかであるから、原告の本訴請求は右限度においては正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴八九条九二条九三条を、仮執行の宣言につき同一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高田政彦)

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